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夏梅太郎右衛門(?~1764/加美区熊野部)は、徳川家治治世、生野代官所の管轄下、過酷な租税に農民達は窮地に追われた。太郎右衛門は、人々の為情状を訴え、減租を嘆願した。代官所は「太郎右衛門自身の一命もって代えるなら」と言い、彼は「喜んで」と快諾、刑場の露と消えた。以後暴政は止んだ。人々は祠と顕彰碑を建立。