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141021 行ってみいへん食べてみいへん:大阿闍梨慶祐上人の墓

DSC_1266.jpg西光寺本堂は10年ほど前に新築されたけれど、苔むす境内にあるその他の建物は歴史を感じさせる。桜や紅葉の季節もお勧め。

水子地蔵尊の足元にハイハイしている子どもの像、ちょっと珍しい。

鎌倉時代の秘仏 十一面観音があり、みろくさんと呼ばれる行事を1月に開催、下の駐車場で護摩焚き供養も行われ、地元住民で賑わう。

PA210280.jpg南へ歩きながら東を見ると、妙見山が見える。その南側(右)、平らに見える所が城山。周辺の樹木を伐採したので、見晴らしがよくなったらしい。

10分足らずで、山野部の大歳神社へ到着。秋祭りにはこの急な石段を曳山(ひきやま)が上がるそう。正月の鳥居には一風変わったしめなわが飾られる。

神社の隣にある溢虗塚(いっきょづか)は「杉原川の氾濫で被害を蒙ることが度々ありましたが、徳川中期安楽田村清水権兵衛が世話役をされ西脇集落と妥協して西脇地区を通って現在の水路を設ける事ができました。清水権兵衛の恩義に感謝するためPA210283.jpg溢禦塚()を建立しました。」〔多可町HPより〕 ほ場整備のため、現在の地に移転されたそう。

ここから山の方へ家並みを縫うように歩いて行くと、常楽寺。ここからは集落、田、杉原川、対岸の田、集落、妙見山が一望。昔、杉原川が氾濫した時に、家だけは守られるよう山裾に建てたことが、よくわかる。

常楽寺の200年ほど前の住職が慶祐(けいゆう)さん

その頃大飢饉が続いて農民の生活は大変苦しかったため、人々の病苦救済を願って日夜精進し、祈願していた。晩年に目の病にPA210285.jpg冒され、ついに意を決し、約1ヶ月の断食を行う。命が尽きそうになった時、村人に「私は、今入寂する。没後も依頼があれば、首から上の病は必ず治してあげる。皆の幸せと村の平和を願います。どうか、人々のよく詣ってくれる、そしてなつかしい村人たちの顔がよく見えるところに葬って欲しい・・・。」と。村人達は、遺言どおりの地にお墓を作り、お祀りして慶祐さんの遺徳をしのんでいる。PA210287.jpg

また、その話を受け継いでいこうと、有志が新しく石碑を建立。

大変興味深い山野部集落を後に、峠を越えて、やちよ百姓くらぶへ。おにぎりと、豚汁、銀杏を拾って炒って、栗をゆでて、こんにゃくの色んな食べ方をして・・秋の楽しいひと時はあっと言う間に終わった。DSC_1274.jpg


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